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金融危機−日本発のメッセージ(早稲田大学GCOE宣言)
《金融危機−日本の評価軸を欧米に問う−》

早稲田大学グローバルCOE企業法制と法創造総合研究所
所長 早稲田大学法学部長・早稲田大学教授・法学博士   上村達男



 本宣言は、2009年8月8日に早稲田大学において開催された、早稲田大学グローバルCOE企業法制と法創造総合研究所(*1)主催の緊急シンポジウム『オバマ大統領の金融規制改革案を検証する−日本は何を発信すべきか−』の席上において、同研究所所長上村達男の責任において会場配布されたメッセージに若干の修正を加えたものである。このメッセージは日本語の他に、英語その他の数カ国の言語により海外発信される。
(*1)グローバルCOE(GCOE)とは、global center of excellenceの略であり、日本の各大学が採択を競った国の大型資金による研究拠点形成プロジェクトである。正面から法律学研究を掲げて採択された大学はきわめて少なく、早稲田大学はこのプログラムの前身である21世紀COEプログラム(2003年採択)に引き継いで2008年に再び採択された。これまでの研究実績に対しては最高の評価が与えられている。あらゆる点で成熟した市民社会を担う、そうした社会に相応しい企業法制、金融・資本市場法制のあり方を、欧米の社会の本質に迫り、欧米が経験に頼る部分をも理論的・学問的に把握することで再構成し、経験の不足を理論で克服しようという拠点形成目的を有している。日本とアジア諸国が拠り所とすることのできる理論モデルを構築し、ひいては欧米が忘れている問題をも指摘することで、欧米との学問的対話を目指そうという志を有している。
http://www.waseda.jp/win-cls/


 容易にバブルを発生させる金融・資本市場、グローバル経済下での不適切金融商品や不適切金融取引、不公正取引の横行は、世界各国の国民生活に甚大なる悪影響を及ぼす。その悪影響は、こうした問題に対して多くの場合受け身の立場に立つその他の諸国、とりわけ発展途上国の経済、市民生活にも深刻な打撃をもたらすことになる。
 この分野を従来より主導してきた欧米諸国は、この分野が及ぼす世界規模での影響の大きさに鑑みて、この分野を規律する制度のあり方について、厳しい責任を自覚すべきである。特に自国の制度の域外適用に熱心なアメリカは、自国の制度に基づく経済活動が他国に及ぼす悪影響(負の域外適用)についても、つねに厳しい自省の態度を保持し続けるべきである。
 企業制度、金融・資本市場法制を一貫して欧米に学んできた日本としては、また世界にも稀な比較法ないし外国法研究志向の強い国民性を有する日本人としては、欧米諸国に対して、それ以外の諸国の立場を代表して、公正な第三者としてそれを評価しうる立場にあり、欧米の制度の問題点を指摘する責任を有している。

 金融危機に関する欧米の議論をみると、そこでは監視・監督体制の強化が様々な形で議論されており、そうした方向自体はさらに追及されるべきである。しかし、この分野で、行き過ぎや過剰が常に生じうるような企業法制、金融・資本市場法制の基本的なあり方それ自体に対する反省の声は乏しいように見受けられる。基本的な法制がルーズな取引を発生させやすい体質を有していても、これを単に国内法問題としてのみ受け止め、そうした状況を放置したままに、監督体制ばかりを強化してもそこには自ずと限界があるのではないか。仮に、改革された監督体制が十分に機能しない場合には、多くの弊害が世界中に拡散し、その被害は再び世界中に及ぶことになる。

 アメリカについては、企業法制、金融・資本市場法制について、これを規範的・目的的・歴史的・理念的に捉えるという発想が弱く、効率的市場を前提とした経済学的な仮説の世界が司法の世界にも影響を及ぼし、市場への過度な信頼を前提とした制度のあり方が、今日の金融危機に直結した金融界の放縦を招いたのではなかろうか。アメリカが独自に展開させてきた、他国には存在しない多様な厳しい不正追及システム(*2)は、それがなければ活用し得ない程の自由と市場メカニズムへの信頼を肯定する拠り所であったと思われる。しかし、他方でそうした他国には存在しない独特の厳しい不正追及システムをもってしても追いつかないほどの過剰な自由、がもたらす破綻を内包しやすいきわどいシステムであるとも言える(他国が真似できないシステムないし真似てはいけないシステムと言える)。今回の金融危機がアメリカ発であることは、魅力は最大だがリスクも最大というアメリカの行き方が、アメリカ自身のシステムで制御できなかったことを示している。このことにアメリカ自身が強い自覚と反省を持つべきである。
(*2)保安官としてのSEC、お尋ね者(wanted)に付きものの報奨金(bounty)、刑事犯罪についてFBIが多用するおとり・盗聴・覆面捜査、司法取引と制裁的裁量的民事制裁、被告企業の証拠開示義務(discovery)、不正を行なった企業が獲得した利益を根こそぎ請求する集団訴訟(class action)、何人も不正をしてはならないという包括規定(SECRule10b-5)の活躍(重い刑事罰を伴う)、州権の強いアメリカならではの郵便通信詐欺法(mail fraud wire fraud)の活躍(連邦法であるこの法はおよそ郵便や通信を使った不正を、郵便や通信をそのために使ったことのみを理由に罰する)、あらゆる分野で大活躍する共謀罪(conspiracy)、マフィアの末端の子分を捕まえて本体の責任を追及する RICO法の金融機関への適用(証券会社も恐喝をする組織と見る)、等々。


 アメリカは情報開示制度等を中心とするルールの透明性を強調してきた国であるが、会社法制をはじめとする企業、金融・資本市場法制はモザイク模様のように複雑で、容易にその全体像を把握できないほどのものになっているのではないか。アメリカ人自身がアメリカの制度をByzantine(ビザンチン様式的)と自嘲的に認識しているのではないか。アメリカは会計ルールのコンバージェンスを言うが、国内で会社法のコンバージェンスもできていない世界でも稀な国家である。そのために、連邦証券規制、連邦取引所規制の中に連邦会社法の機能を果たす規定が交じるなど、体系的な思考方法がとられていない。このたびの金融危機に際しても、州規制と連邦規制との連続性の欠如というアメリカの国内事情が海外に災いをもたらす原因になっていた可能性も強い。他国の法制度を謙虚に学ぶ比較法的関心が弱いことと相まって、全体として他国にとって非常に分かりにくい法制度となっている。アメリカ会社法とは何かと、問われて答えられるアメリカ人は少ないのではないか。アメリカを代表する学者であるメルビン・アイゼンバーグ(Melvin Eisenberg)教授は、州判例法、州会社法、連邦証券規制、連邦証券取引所ルール、その他ソフトローの全体がアメリカ会社法だと言われていたが、デラウエア州会社法だけがアメリカ会社法だと思いこんでいた日本人は専門家も含めてきわめて多い。問題は、こうしたルールの複雑さはその影響がアメリカ一国に止まっている場合には、それぞれの国の文化とも言えるが、そこで発生した事象が世界中に拡散される以上、アメリカの制度のあり方についても、世界は強い関心を有すべきである。

 アメリカは、証券恐慌の経験を経て制定された1934年連邦証券取引所法第2条で、規制を必要とする理由について詳細に規定した。ここでは、州際通商ないし合衆国全土にまたがる証券市場の実態に制度が対応できなかったことを受けて、この分野がアメリカ一国だけではなく世界的な恐慌の原因ともなりうる問題であることを強調し、連邦証券規制について新しい制度の枠組みを構築した。同条はその末尾で次のように規定する(*3)。「広範にわたる失業及び取引活動・輸送および産業における混乱を引き起こし、かつ州際通商を阻害し、ならびに公共の福祉に反する影響を及ぼすような全国的な非常事態は、証券の相場操縦およびその急激かつ不当な変動により、ならびにこの種の取引所および市場における過当投機によって引き起こされ、増大されかつ延長される。そうした非常事態に対処するため、連邦政府は、国の信用に負担を課するような巨額の支出を余儀なくされる。」
  今日アメリカ発といわれる金融危機に際しても、アメリカは監督体制のあり方だけではなく、アメリカ自身が、グローバルな世界に通用する新しい制度の枠組み作りに向けて、自らが拠ってきた発想を大きく見直すという覚悟を示すべきではないか。そして同時に、アメリカの制度自体が、論理的に一貫性があり、諸外国にとっても十分に納得できるものとなるために努めるべきであり、そのために諸外国の意見に謙虚に耳を傾けるという姿勢が求められる。欧州型の抑制的な会社法制を連邦レベルで実現するといったことをも敢えてタブー視すべきではない。
(*3)新外国証券関係法令集アメリカ(V)76頁(2008日本証券経済研究所)

 欧州については、比較的謙抑的な会社法制と資本市場に対して警戒的な制度のあり方、そしてとりわけ英国が歴史的に形成させてきた自主規制の意義の高さなど、我々が学ぶべき点が多い。しかし、例えば欧州国内で確実に守らなければそこで生きていけないようなプリンシプルズやジェントルマン・ルール、ベストプラクティスに基づく行動を、欧州外で貫くという姿勢が乏しく、こうした分野で経験不足のアジア諸国において、プリンシプル等に反する行動を敢えて行っても、それを放置する姿勢が見受けられる。母国では慎むはずの蛮行に平然と手を染めて恥じない姿勢を、植民地支配時代の残滓であるとみる見方はアジアにおいて払拭されていない(英国人にはアヘンを吸うことを禁じ、中国人にはそれを大いに奨励した英国の姿勢が、今や完全に克服されたことを英国自身が金融の世界において明確に宣言すべきである)。欧州は、欧州での規律が欧州外でも貫かれるような行動規範を明快に示すべきである。そうでなければ、欧州で歴史的に形成されてきた共同体的な規範意識を共有しない、例えばアジア諸国が欧州に対してきわめて警戒的な制度を採用したとしても(例えば、銀行と証券の分離等)、そのことについて欧州が苦情を言う資格はない。

 日本は欧米からデモクラシーを学び、人間重視・個人重視の社会のあり方を学んできた。しかし、特定少数の人間からなる匿名性の私募ファンドが株式会社の大株主であり、あるいは支配株主であるという事態を放任することは、欧米自身(特にアメリカ)が誇りとした個人中心の株式市場、株式会社、企業社会の理念を自ら放棄するものなのではないか。金融技術の華麗さに目を奪われて、欧米が歴史的に形成してきた誇るべきデモクラシーと人間尊重の精神が軽視されているならば、そうした姿は我々にとって学ぶべきモデルではない。そうしたことをはっきりと伝えることも日本の責任であると考える。
  企業、金融・資本市場制度は主として欧米が発展させてきたものであるが、今日のグローバル時代には、前述のように、その動向は世界中の諸国民の生活を左右するほどのものとなっている。その意味では、欧米以外の諸国にはそのこの分野のルールのあり方について議論に加わるべき十分な資格がある。日本政府は、この分野で先行した非西欧国家としての日本の独自の立場を自覚し、その主張を国際社会に向かって堂々と発信すべき責任を負っている。
 企業、金融・資本市場はグローバルな世界そのものであるが、ルールは米国のルールといったドメスティックなものが基本的に通用してきた。しかし、ひとたび金融危機が発生すれば、そこでは剥き出しの国益優先の発想がまかり通ることになる。最後は自国の利益を最優先させる国が、グローバルな制度の提供国であるという矛盾に、我々はいち早く気付き、世界レベルでの制度論議に積極的に加わっていくべきであろう。


以上

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[ シンポジウム取材レポートはこちら ]

[ 危機再発防止に向けた欧米の法則 「制御可能な自由」を原則に ]
(日経新聞 経済教室8月24日)



 

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